
エール北上線
北上線を日常的に利用している人
小原晟子さん
JR北上線は、利用者の日常をつなぐローカル線です。
通勤や通学、買い物や通院できることが当たり前であるために、全長61.1kmの道のりを沿線の人々と共に走ります。
今回はJR北上線の利用者である、小原晟子さんにお話を伺いました。

小原さんはJR北上線を日常的に利用されているんですか?
通院や買い物のために、月3回以上は北上線を利用します。岩沢駅から北上駅までの乗車がメインですね。
私が住んでいる岩沢はバスが通っていないし、北上市内までは距離があるので、毎回タクシー代を捻出するのも難しい地域です。
こういった環境下でも元気に過ごせているのは、北上線があるからこそだと思います。
あと、通院後は北上市内のデパートで買い物や食事をするので、いい息抜きにもなっていますね。友だちと会うこともできるので、北上線を利用する日はとても楽しみなんです。
久しぶりに会える友人とは話が尽きないから、電車を待つのも苦じゃないんですよ。


JR北上線はいつから利用されていたんですか?
岩沢に住み始めた20歳の頃からです。当時から通勤や買い物など日常的な移動手段として利用していました。
岩沢はかつて鉱山業で栄えた地域です。そこで働く方も北上線で通勤していたので、4両編成の車両がぎっしり埋まるほどの混雑ぶりでした。
今になってみると、この頃の北上線のにぎわいが懐かしいですね。どうしても当時と比べれば利用者は減っているので、少し寂しく感じる部分もあります。
一方、現在の北上線は私と同じく、通院のために利用する方がたくさんいるなと感じます。岩沢駅から乗られる方も、決して少なくはありませんよ。
JR北上線は生活に根付いた存在なんですね。小原さんはJR北上線を利用する傍ら、岩沢駅のお掃除もされていたとお聞きしました
そうですね、平成3年から駅舎の掃除をしていました。
当時は調理師として保育園に勤めていて、北上線が通勤手段だったんです。自宅の最寄りが岩沢駅でしたので、毎日利用していたのですが、いつからか駅構内の汚れが気になってきて。
駅舎には切符販売員が常駐していましたが、掃除までは手が行き届かなかったのだと思います。
そこで、せっかくなら気持ち良く駅を利用したいと思い立ち、自発的に掃除を始めたんです。駅構内がどんどん綺麗になり、切符販売員からも「助かります」と声をかけていただいたので、そこから15年間、毎日掃除を続けていました。


自発的にお掃除をされるだけでもすごいのに、15年間も清掃活動を続けてこられた秘訣はなんでしょう?
やはり駅を利用する方が喜んでくれることです。岩沢は自然に恵まれた地域なので、登山客や自然観察グループが定期的に訪れます。
その際に「ここの駅舎はいつも綺麗だから利用しやすい」という声をかけていただくことが何度もありました。
直接そのような反応をもらえると、とてもやりがいを感じられたし、嬉しくて掃除がやめられなかったんです。
あと、私はトイレや洗面台など水回りを中心に掃除をしていたんですが、一人では対応できる箇所も限られていました。すると掃除を始めて5〜6年ほど経つ頃に、手伝ってくれる方が出てきたんです。
そこから掃除を分担できるようになったので、時間の使い方に少しゆとりが持てるようになりましたね。
草刈をしてくれる方も増えて、岩沢駅の景観がまた一段と綺麗になったのを覚えています。掃除は自発的に始めたものでしたので、地域の方々が賛同してくれたのはとても嬉しかったですね。
小原さんの活動がベースとなって、今も岩沢駅の景観が守られているんですね
今は岩沢自治会が駅舎の清掃を継続してくれています。冬は除雪機で雪払いもしてくれるので、安心して利用できますね。
当初のメンバーは高齢化して、掃除の継続が難しくなっていただけに、自治会が活動を引き継いでくれたことはとても嬉しく思います。


JR北上線は小原さんにとってどんな存在ですか?
80歳を過ぎて交通手段が限られる中で、北上線は無くてはならない存在です。通院や買い物ができる当たり前の毎日をこれからも残して欲しい。
岩沢駅は交流の場にもなっていて、用事はないけど誰かと話せるから駅舎に行くという方もいます。こういった場所も、もしなくなったらと思うと本当に寂しい。
私は駅舎の掃除をしていたから、地域の方と顔を合わせるきっかけができたし、おしゃべりをしながら息抜きもできた。これは今の自治会にも言えることですし、北上線があったからこそ生まれた出来事です。
たしかに学生の乗車は少なくなりましたが、今も北上線を必要としている人がたくさんいます。これからも沿線の人々の日常をつないでいってほしいですね。